「引越しのお手伝い・・・パート2」

昨日に続き、今日もY部長と一緒に買い物ツアーです。( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)最初は、「ニトリ」からスタート、このお店だけで家具から、電化製品(レンジ、トースター)、食器、台所用品、トイレ、洗面所の小物、大抵のものは揃います・・・次は「100均のダイソー」・・・そして「ジャスコ小録店」で、調味料、お米等の生活品の買い物をして事務所に買った荷物を下ろして本日の作業完了。明日は、電化製品、家具類が配送され、午後からは、クーラーの設置工事を予定しており、終日S建設の事務所のお手伝いになりそうです。新しい事務所が、段々形になって行く様子は楽しいものです。21日には、コピー機が入り、NTTの工事が完了すると事務所オープンとなります。
沖縄事務所がオープンし、今年中には資材の出荷体制も整い、来年からは本格的に動ける状況になるが、「コンクリートから人へ」今の民主党政権化で一番打撃を受けている公共事業の減少で、建設資材の需要の落ち込みは、長期間続いており、生コンはじめ建設資材の安値傾向に歯止めがかからない。コンクリートは、決して悪ではなく必要不可欠な「限りある資源」の一つであり、内需拡大と言うならば、環境や介護の事業分野を開拓することも必要だが、公共工事がもたらす経済効果も必要不可欠のものだと思うのだが?
話は違うが、普天間移設で今注目されているのが「徳之島」だ。沖縄から北へ200キロのところにある、サトウキビと闘牛の島だ。政府が正式に候補地としてあげた経緯もないままに、反対運動だけが先行して、昨日の「普天間移設に反対する抗議行動」は二回目となり、今回は島民の6割以上が反対集会に集まったとの主催者発表があった。いざ自分のところに米軍基地が来るとなったらほとんどすべての地域で反対運動が起きるのは当然のことだ。このことは、基地に限ったことではない、原発の受け入れ、産業廃棄物処理場、ゴミ処理場、下水処理場、葬祭場そのほとんどすべてが反対される。ではこのような施設はいらないのかと言えば、ほとんどの人が必要だと思っているはずだ。沖縄県が本土復帰を果たしたのは1972年、奄美群島も戦後米軍の統治下にあったが1953年に復帰を果たした。現在鹿児島県に属するが、言葉も気候風土もより沖縄により近く、基幹作物もサトウキビと一緒だ。闘牛を通じての交流は古くからあり、同じ琉球弧に暮らす住民である。今の「普天間基地」は、人口8万人が基地周辺に暮らしており、その危険度は想像を絶する。今の状況が続けば、「普天間基地」は継続使用される可能性も否定できない。2014年までに、普天間基地を移設するために、「辺野古沿岸部移設案」は紆余曲折を経ながらも進んでいたが、昨年の政権交代で基地は最低でも県外、ベストは国外と言った鳩山連立内閣の責任は重いと言わざるを得ない。日米同盟も大事、連立政権も大事、地元住民の声も大切である、そして、5月末までには必ず決着すると言ってはばからない「鳩山総理」の腹案が「徳之島」だとしたら、いくらなんでもそんなことはないと思うが?
約束は、誰であろうと守るのがルールであるが、そこには優先順位があってしかるべきだ。国家にとって、国と国との約束が第1優先であり、このことは絶対であると「てぬきそば」は思う。たとえ、困難であろうと真正面からぶつかって理解を勝ち取る努力がなければ国政を預かる者とは言えない。日米同盟は、どの政党の党首が大統領、総理になってもゆるぎない信頼関係で進化させていかなければならない同盟関係だと思う。
日米同盟は、東西冷戦が終わりを迎えたことで新たな段階を迎え、東アジアの平和と安定を構築していく意義と、目覚ましい速度で経済発展を遂げ台頭してきた中国の軍事力そして、核開発をやめようとせず六カ国協議にも参加しようとしない北朝鮮金正日体制の脅威が現存している今の状況下で、「日米同盟」の果たす役割は自国を守ることにとどまらず周辺諸国に与える抑止力としての意味でも大きな力を持っていると思う。
  「酔っぱらい支離滅裂な日記書き」 〜言いたいことはなんだっけ〜
【4月18日】
朝食 なし
昼食 ナポリタン、アイスティ
夕食 野菜炒め、味噌汁、ごはん、焼き鮭